06.13
「窓を開けなくても暮らせる家」って?
窓を開けなくても、快適で健康な暮らしができる家、というのがある。
高気密高断熱そして計画換気の家、365日、24時間機械で換気している。窓を開けて換気をしなくてもコントロールされているという。
住まいの中で、唯一自然とのつながりが持てる窓。視覚的つながり、そして開口部からは太陽のぬくもりが得られる。冬ガラス越しに注がれる太陽は、まさしく天からの贈り物。寒くない時は思いっきり窓を開けて住まいも深呼吸させたい。
計画換気、人間の手で頭でどんなに巧妙に仕掛けても、自然の風通しには及ばない。何故なら、大自然の空気の流れ、風の動きは現段階の人間の能力では計算できるものではない。ましてや自然をコントロールしようなんて不可能に近い。
自然の影響を全く受けないように建物を建て、計算値にも自然の影響を入れないで計画できれば換気も温熱環境も人工的にコントロールすることは可能だと思う。しかし残念ながら、これは不可能なこと。窓からの影響を断ったとしても、地球上に風が吹けぱ必ず建物は圧力を受けて、室内の換気に影響を与える。
すべてを機械に頼らなくても、空気が澱んでるなと思ったら窓を開けて換気する。自分自身の身体のセンサーの方が、よほど優秀だと思う。
よく自然の空気は汚れている、外の空気の方が汚い、だから機械換気に頼るしかないのだとの話を聞く。しかしシックハウス否シックビルは、都心のビルの話。窓の開けられない高層ビルで、人工的に温度も換気もコントロールされていた空間。ここで身体の不調を訴える人間が続々と見られた。これが化学物質過敏症の始まりだ。こうした事実を見ただけでも、機械コントロールの限界を感じずにはいられない。
機械は確実に換気をする、だから安心との声もある。本当にそうだろうか。機械の場合は、単体では計算通りの機能を発揮する。しかし、建物の中に組み込まれた時様子は一変する。機械の力で排気口から空気が勢いよく出ていても、肝心の室内全体の空気が入れ替わっているとは限らない。クーラーや暖房だって必ず室内の温度差をつくる。換気だってされてるところと行きとどかないところが必ずでてくる。
むしろ自然の風通しが優れものと言えるのである。居住空間の中に風が抜けない場所ができないよう窓を配置してやれば、機械換気によるショートサーキット的な空気の流れでなく、室内は満遍なく換気できることになる。
しかしいくら窓があっても開かずの窓では何の意味もない。また、窓を開けても風が抜けないような間取りでは仕方ない。
私たちの生体のリズムは、自然のリズムで動いている。太陽が昇り、日没を迎える、この大自然の時の刻みがあってこそ、生命の時の流れがある。人間の身体はさまざまな刺激の中から痛みを覚えていくという。こころも同じだと思う。人間関係からの刺激、そしてもっと大きな地球という自然とのふれ合いの中から感受性が育まれるのだと思う。
住まいにもビルにも必ず窓がある。できるだけ大きな開口をとりたいというのは、日本人なら誰しもが願うこと。外が見える開放感、自然との融合。ビルなどに挟まれた、自然を受け入れにくい環境にある住まいが、天窓をつくって空を仰ぐ、窓ごしから愉しめるよう植樹や小さな坪庭をつくる、何とか自然とふれ合える工夫をしている。
夏の暑い時期、冬の寒い時期は意外と短い。窓を開けて自然の風が運んでくれる季節の香り、生命の息吹をもっと愉しめる住まいであってほしい。
Book やっと出会えた本物の家より